仏教とキリスト教の類似性
子供の頃は上方の元近衛領の町で育った。日々の遊び場には事欠かなかった。空き地や小学校の校庭での野球は日常だ。その他に神社・お寺の境内も重要な探検場所だった。勿論季節季節には、テキ屋も集合するお祭りの夜店が並ぶ。祭りの日は神殿に上って、神妙に神楽を見て落雁をいただく。上方では神社・仏閣は生活と結びついている。
イタリアでは、ほとんどの教会が一般開放されていた。郊外では庭園も遊び場になるし、内部は都心・郊外どちらの教会でも参観が自由だった。計画と技量が無いと物に出来ない希少のフレスコ画を見るのも、日常茶飯のミサへの参加も自由だ。小銭を置いてのCandle lighting も普通。何を祈るのかは、日本の神社へのお参りと同じで、都合の良い神頼みが多いのだろう。
川崎大師にお参りしてきました。お賽銭を投げ、お線香を灯して仏様に勝手な自己都合をお願いする。祈祷料を払って、護摩かした?(護摩は真言宗・天台宗のみらしい)。事業繁栄と厄除けを願ってきました。収穫は僧都から合掌の意味を教わりました。神を意味する右手と人間を意味する左手を合わせて一体感を得るのだそうだ。五鈷杵も同じ意味だそうだ。
合掌は、カソリックの十字を切って三位一体を意味するのと似ていますね。曼荼羅絵と教会内壁のフレスコ絵は同じ様な意味を持つのだろうか。お賽銭=小銭、お線香=Candle、お札=ミサ、合掌=クロス。∴仏教=キリスト教? 人間は髪の色が、肌の色が、言葉が違っても、大体同じ様なモノだ。人種が違っても同じ様なもので判り合えるのに、身近な人と仲違いするのは何故だろう?
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コメント
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投稿: monta | 2008/11/17 23:59
I want to sleep,now.
投稿: monta | 2008/11/17 23:57
I want to sleep, now.
投稿: monta | 2008/11/17 23:56
I want to sleep,now.
投稿: monta | 2008/11/17 23:55